吉田松陰の墓と松陰神社 2

無断転載をお断りしています。必ずご連絡をください。二、萩の墓 萩では万延元年(1860)2月7日が松陰の百ヶ日に当たり、生家の杉家で百日祭を営み、護国山団子岩の吉田家墓地に遺髪を埋葬することにした。正月30日に久坂・高杉をはじめ門人10人があつまり墓…

吉田松陰の墓と松陰神社 

無断転載をお断りしています。必ずご連絡お願い致します・吉田松陰の墓や神社の由来についてあまり知られていないが、年末に約35年前(昭和50年)にまとめられた小冊子をみつけた。当時、萩の郷土文化の編纂に熱心であった、田中助一氏(明治44年生、医師、…

夏みかんと長州藩士 2015年に私が思ったこと

大変恐縮ですが、シェア不可とさせていただきます。質問等ございましたら、ご連絡ください。 今日は、やまぐち食べる通信をはじめたきっかけになった2015年萩の夏みかんまつりの時に行ったスピーチの原稿を添付する。「やまぐち食べる通信」で県内各地をまわ…

日本近現代史の読書会 近・現代史カフェ

久しぶりに更新です。 日本の近現代史の新書レベルの歴史カフェを始めることにした。(19世紀中盤~太平洋戦争まで、特に明治・大正・昭和16年まで) 積ん読が多くて、精読もままならないが、日本近代史の本の量が増えた。このブログを始めたきっかけは、ま…

日本の電信の歴史

無断転載は固くお断りいたします。日本の電信の歴史は、ペリー来航とともにはじまったようです。実用化は幕末の混乱期にも検討されたようですが、かなわず、しかし、1871年にはすでに上海~長崎間、長崎~ウラジオストックが海底ケーブルが敷かれ、翌年1872…

もう一つの松下村塾 敗北

無断転載は固くお断りいたします。明治9年10月6日に書かれた乃木希典の詩を写す。悲しい歌だ。 昨日は曾祖父正誼の命日であり、もう一つの松下村塾の無残な敗北の象徴である玉木文之進の自刃の日11月6日も近づいてきた。 時来ぬと籠にすたく虫の音も 物あわ…

祖霊祭 乃木家 10月30日 そして誰もいなくなった

シェア不可で転載はお断りしています。赤坂乃木神社の敷地内には乃木家祖霊社がある。 乃木家の墓は青山墓地内にあるけれど、神社の中にあるのは御霊をまつるところなのだろう。墓前祭ではなく、祖霊祭が毎年10月30日に行われている。明治10年10月31日の乃木…

SWプロジェクト株式会社にはいろんな意味がある

今週のお題「好きな街」好きな街は沢山ある。 地域のいろんなことに興味があるので、気になる場所について書いてみることにする。 10年ほど前からコミュニティとか場づくりに興味があり、アニエス・レピスリーという場を作った。最初は地元牛込神楽坂のコミ…

Double rainbow 新たな旅立ちだろうか?

10月19日 萩・松陰神社を案内しにでかける。今年8月に山口スタディツアーと題して大学生5人と県内を縦横走して主に三か所の地域をナビゲートした。 その際知り合った慶應義塾大学SFCのOBとの縁で、今回はコンゴ民主共和国の国立教育大学から短期留学している…

所属宗教の変遷

江戸時代は檀家制でどこかのお寺に所属するのが必須だったようだが、明治になって廃仏毀釈になって、山口県のような地域は神道一本になった家が多いのではないか。 私は東京で育ったのと、戦後の教育を受けた両親と、リベラルが良いと思ってミッションスクー…

玉木文之進について

京都にある霊山博物館の維新の道2015年10月号(199号)に寄稿する機会を得たので、 今までにわかったことをかいつまんでまとめた記事です。 ブログの最初の頃から大分心境が変わってきています。

久坂文が毛利家の奥女中になった背景

(無断転載をお断り致します。) 大河ドラマで、文が萩藩の奥女中として就職を直談判するというくだりがあるが、ありえないのでは?と思い推論する。 乃木希次を通しての、玉木文之進の紹介ではなかったかと思っている。久坂玄端は、禁門の変で亡くなった時は…

桜圃明宝展 2014年12月 寺内正毅宛 乃木希典書簡(大正元年9月12日付け)

昨年のことになるが、学習院大学史料館で 陸軍大臣・陸軍元帥を務めたのち、第18代内閣総理大臣寺内正毅氏とその息子寿一(陸軍元帥)関係資料である桜圃名宝展を見に行った。 寺内家が二代にわたって完成させた私設図書館「桜圃寺内文庫」の旧蔵品を核とする…

夏みかんまつりに幕末へタイムトリップ

萩市では夏ミカンの花が咲く頃、旧小幡高政邸(その後田中義一邸へ)夏ミカン祭りが行なわれている。今年は5月16日~17日がそれにあたる。 国指定文化財である熊谷家住宅は江戸時代の萩毛利藩の御用商人であった熊谷五右衛門の自宅。築250年で、江戸時代の面…

玉木祖霊祭と夏みかん

明治9年11月6日は萩の乱の責任をとって自刃した玉木文之進の命日。 萩松陰神社に年間行事の一つとしていただき、玉木の祖先たちを偲ぶ記念日としていたようだ。去年、父(伯父)の納骨をその日に合わせた関係もあり、玉木に縁のある従兄姉たちも集まり、内輪…

松下村塾とはなんだったのか?

このタイトルをまとめられるようになるのがブログの目的だ。 外様の中では結構中堅どころの長州藩の城下町の外れでおこった私塾は、本来寺子屋のようなものから始まった。 しかし、その後、吉田松陰が自宅で始めた啓蒙活動が、結果的に維新の原動力になった…

一年祭

月曜日に玉木家最後になった伯父の一年祭を行いました。賑やかなことが好きだった人でした。祖父が一人っ子だったせいもあり、私の親たち兄弟は、祖父の従兄たちとも親しく付き合っていたのでした。特に萩の乱の後、曾祖母の豊子と妹の杉滝の家族はどんな思…

乃木さんの親戚について

乃木神社の大祭のことや、乃木さんの伝記のことなどから、FB友達の戦史研究者の方からもコメントを頂戴致しました。 バランスのある人であってテレビや小説で描かれるほど愚かな人ではないようです。子供の時、乃木さんの日記も読みましたが、教養もあり現代…

水師営の会見

日露戦争の後、講和会議でロシア側のステッセル将軍との会見について、当時の歌がある。子供の時によく歌をきいて(乃木神社のお祀り)、すごい歌だな、と思ったが前後関係がわからなかったのでそのままにしていた。 今日久しぶりに9月13日の大祭に参加して…

乃木神社大祭 2014

爽やかな秋の風のある9月13日、赤坂乃木神社の大祭に出席した。結婚前以来だからかれこれ20年ぶりになる。実はその前に昨年10月ご鎮座90年祭に出席した。もっと本当のことをいうと、2012年10月の祖霊祭に出席したが、途中精神的にいたたまれなくなって離席し…

下関 功山寺の墓

集作の養子先は、旧長府藩の藩士で昔は500石取の名家だったが、御一新の波に乗り切れずすっかり落魄して貧乏と孤独にうちひしがれた70歳くらいの老人がいた。その本人甚五左衛門の父は大舘啞禅ということだが、戸籍には子供も妻もいない。その家の名前を継ぎ…

西南の役で失った軍旗について

無断転載をお断り致します。 「偉人のかげに」長谷川君江氏の私家本の最後に西南戦争で乃木希典が統率していた歩兵第14聯隊の軍機についてのくだりがある。 「2月22日植木駅に於いて旗手河原林少尉は敵兵の中に切り込んで戦死し、持っていた軍旗は敵将村田三…

偉人のかげに ③ 那須野と品川弥二郎との関係

無断転載をお断り致します。 写真は、台湾総督に希典が行く前の家族写真かと思われる。右端から、集作、希典、母寿子、勝典、保典、静子夫人。 現在那須野乃木神社があるところは希典が別邸として購入したところで、遺言により大舘集作が譲られ、移り住んだ…

偉人のかげに ② 希典と大舘集作 軍人と農業

無断転載をお断り致します。 玉木家も乃木家も武門に生まれたものが軍人にならないなら百姓になれ、という家風があった。商人などもってのほかだった。 玉木文之進の開いた松下村塾は農業をしながら学ぶというスタイルだったので、希典もその薫陶を受けてい…

「偉人のかげに」 ①乃木希典の父希次と兄弟の別れ

無断転載をお断り致します。 大舘という名前は、乃木希典の末弟の集作が、兄希典の探してきた長府藩の旧藩士大舘甚五左衛門氏と養子縁組した。それは、希典自身が自分の死後断絶する意思があったので、功績のないものが爵位を継承することを恐れたからだった…

魂の存在について (2006年のブログより)

自分のもっている縁について不思議に思っていることを、当時の心境でまとめてある。 夫の実家のお墓詣りがはじまってから、かえって祖母や伯母のお墓詣りをするようになった。不思議な縁が重なって、伯母のことを良く考えるようになった。 伯母は、非常にき…

前原一誠との縁 8年前の他ブログより

今読んでみると、また違う考えになるが、幕末史に興味を持つきっかけになったこと。 霊の存在について(山口篇) 3 2006年 08月 06日 話が前後するが、萩には菊ヶ浜というほど良い広さの美しい砂浜をもつ海水浴場がある。 暑さの中ちょっとのぞきに行ったが…

至誠 (2013年過去のノートよりコピー)

”Makoto" means truth or integrity in English, I was told by some one about this meaning in summer 2012 in the very polite manner.The original idea comes from "Doctrine of the Mean ”(中庸 in chinese) which is the title of one of the four bo…

乃木家絶家と再興について 希典自刃後の顛末

無断転載をお断り致します。 乃木希典が大正元年9月13日自刃した際、十通をこえる遺言書をしたためてあった。 「希典は『養子弊害ハ古来之議論有之』『天理ニ背キタル事ハ致ス間敷』『呉々も断絶ノ目的ヲ遂ケ候義大切ナリ』と養子を否定し、乃木伯爵家の絶…

乃木玉木の家紋について

無断転載をお断り致します。 こちらは女性紋。 20代の頃から日本料理を習っていて、その先生は日本流に家元制の形をとっているので、お免状を戴く時に、無地の着物に揃いの帯を締めることになっている。 折角だから実家の紋を入れようと、母に聞いたら送って…