日本の電信の歴史

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日本の電信の歴史は、ペリー来航とともにはじまったようです。実用化は幕末の混乱期にも検討されたようですが、かなわず、しかし、1871年にはすでに上海~長崎間、長崎~ウラジオストックが海底ケーブルが敷かれ、翌年1872年には長崎~ロンドンがつながる。国内の電信は同年本州~九州のケーブルが第一号の海底ケーブルとなりました。
 
岩倉使節団も電報を使用していたといいますが、日本の電信の歴史は世界の中でもかなり急速に追いついたことがわかります。費用は高額でしたが、ある意味、1990年代のインターネットの普及以上の情報を握るものが勝利したのが誕生したばかりの若い明治政府ともいえるのではないでしょうか。
 
萩の乱を調べているときに、情報収集に電報を多用していること、また西南戦争でも先日のNHKの歴史番組をみているときに、言及されていました。現代でもそうなのですが、物流や情報を持つものが有利であることは自明の理です。大きな差の理由の一つとして腑に落ちたもので、ちょっとネット検索してみました。