乃木神社大祭 2014

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 爽やかな秋の風のある9月13日、赤坂乃木神社の大祭に出席した。結婚前以来だからかれこれ20年ぶりになる。実はその前に昨年10月ご鎮座90年祭に出席した。もっと本当のことをいうと、2012年10月の祖霊祭に出席したが、途中精神的にいたたまれなくなって離席した。

 

 乃木邸は本人の遺言により当時の東京市に寄付されました。全国に沢山の乃木神社がありますが、批判や崇拝や毀誉褒貶の多い人生でした。

しかし、熱烈なファンがいることも事実。何かそこにはあるのだろうか。人生を知れば知るほど、私の勝手な理解だと、乃木のスタイルでもあった天皇の臣として生き続けることには彼自身に深い悲しみと重荷がずっとあった、と思います。公を重んじ、私を捨てるという哲学ともいうべき幼いころ植え付けられた教えこそが彼にとって心のよりどころのすべてでもあり、彼なりの生き方の原点がありました。

 このブログの中では、一番大きなテーマになるのかもしれません。

 

 人を祀った神社であるところのその人の人生を調べていると、深い悲しみや苦しみを抱えていることに気づきました。 周りの人は勝手にそのご威光というものにすがっているだけだったりします。観光資源であったり、何らかの関係があることを強調するために自分の正統性を主張してみたり。

集まる人にとっての思いが必ず投影されています。

 

 何か利益があると思うから、そこに人は集まります。それは心のよりどころであったり、ほんとうにゴリヤクだったり。人によっていろいろです。

勿論妄想というか宗教であるから、その場には精神が昂揚する一つのイリュージョンを作り上げなくてはいけません。

 

 それはもし亡くなっている本人に魂があったとすれば結構負担なんじゃないかなと思います。死んだら終わり派である私にとっては、本人の死後の意思はどうでもよくて、そこにある空気や時代の移り変わりや価値観をしっかり理解しておきたいと思います。

 

 その時代の価値観は、取り巻く環境はその時代の主人公である私たちの知性や経験によって狭くも広くも変化します。 まさに当事者の意識を反映しているといえましょう。 もっともっとどんな人もが幸せである世の中が実現できることが大きな希望でもあります。

 私は時代の狭間に育った人間として、大正生まれの人たちとの価値観の違いから出た確執に折り合いをつけられず、飛び出し自分で歩くことによって、沢山の幸せや力を得ることができました。

 神社とかお寺のようなパワースポットは本当は多くの人に愛されるスペース、そこに行くと嬉しくなるスペースであって欲しい。

 では、途中離席するほど、心が苦しくなるところに何故自分がいくのか、それは、私にとって家族の歴史を知るために必要な乗り越えなくてはいけない一つの事だったと思うからでした。自分がどんどん解放されるために、自分なりに戦い続けてきた古い意識。しかし、それは繰り返し繰り返し「自分の深い感情から何度もあがってくる怒り」となって苦しめられてきました。

 

 ご祭神本人に責任があるわけでもなく、そういう素材によって生かされたり、振り回されてきた人が沢山いる。当時の日本の歴史はどうやって作られたのだろうか。自分の激しい感情を乗り越えるほどの好奇心が止められなくなってきたのだと思います。今はじめないと、自分の人生の最後に後悔する気がしました。

 逆賊として亡くなった曾祖父や曾祖母の弟小太郎のこと、そして影の指導者であったとも思われる血縁上は高祖父梅太郎(民治)の叔父にあたり、系図上は高祖父である文之進。攘夷の急先鋒だといわれています。彼らと袂をわかちながら、御旗のために生き、また親族を助けてもいた希典は、どんな人だったのか。

 そしてその陰でじっと生きた大叔父の集作。他にも沢山いた当時の脇役たち。誰もが人間であり、一生懸命生きたのだと思います。確かに存在していたのに忘れられた事実など、自分なりに生きているうちに整理してみたいと思います。