吉田松陰の兄

無断転載をお断り致します。 祖父は系図を調べ整理することを現役引退後の仕事の一つにしていたようだ。 特に自分の父方のことは丁寧に調べている。本人の父は生まれる前に亡くなっていること、そして伯父にあたる人も亡くなっている。男系の従兄弟たちも戦…

杉道助

無断転載をお断り致します。 亡くなってから大分経つので、今、一般にしられていないが、道助は杉民治(松陰の兄)の次女滝の息子で、杉家を継いだ。生涯大叔父にあたる松陰を尊敬していたという。 祖父玉木正之(民治長女の一人息子)とは従兄弟になる。と…

御堀耕助(太田市之進)と玉木彦助

御堀耕助 - Wikipedia 第二次長州征伐の際に奇兵隊とともに戦った諸隊の中に御楯隊がある。太田市之進のちの御堀耕助が隊長。乃木の父希次の兄が御堀の父であり、乃木とは従兄弟の関係。 希次は萩にあった乃木家から長府乃木家に養子に行っている。乃木希典…

玉木文之進

無断転載をお断り致します。 松陰先生の甥にして後嗣・吉田庫三翁「祖先・家庭及び就任以前の事蹟」(大正三年八月四日談話。學習院輔仁會篇『乃木院長記念録』大正三年十月・三光堂刊に所引)に曰く、 先生(明倫館代教・松下村塾主・韓峰玉木文之進正□[韓…

浄瑠璃坂の仇討 (江戸時代の仇討)

近所の住宅地に浄瑠璃坂という比較的なだらかな坂がある。宇都宮藩の重臣の中で起った喧嘩が発展し、事件がおきる。浄瑠璃坂の仇討である。喧嘩両成敗にならなかったことに腹をたて奥平家の家来だった者たちで浪人になった者たちが一党を組み仇討を果たす。…

杉民治

無断転載をお断り致します。 松陰の兄、杉民治についてちょっとGoogleしてみました。 1828年(文政11年)萩市松本(まつもと)に生まれ、幼少期から父杉百合之助、叔父玉木文之進の指導を受ける。 1842年(天保13年)玉木が創設した松下村塾に学ぶ。また藩校…

儒学者の一族

玉木文之進や吉田松陰は山鹿流兵法学者だった。山鹿素行はこの山鹿流兵法の祖であるが、古学派の祖でもあった。古学派とは、漢・宋以降の中国の儒学者の解釈に頼ることなく、孔子や孟子の原典に直接触れその真意を読み取ろうとしたことに特徴があるという。…

反逆についてのキーワードは「なる」と儒教そして懲罰の考え方

無知で恥ずかしいのだが、以前から興味のあった皇国思想と反逆との関係はやはり、学者の研究の対象でもあった。私のレベルで理解できそうなことはないかと検索していたら、丸山真男の古層という言葉にぶつかり、さらに検索していたら、松岡正剛の千夜一夜に…

武士たちの革命

久しぶりに時間ができて、ずっと読みかけのこの本を読み進む。アメリカの大学生向けの教科書だが、私にとってはどの日本在住の人の文を読むよりもわかりやすい。詳細で異論はあるかもしれないが、内向きの情念から突き進んでいくうちに、世界を知り自らが「…

萩の乱(前原一誠の乱)

玉木真人(1854-1876)玉木真人正誼は萩藩士玉木文之進の養嗣子となったが、明治9年11月1日萩の乱で戦死した。明治5年ごろの写真(小野為八撮影) 曾祖父の記録はあまりない。 この不満士族の乱という言葉で語られる内乱も、子供の時から、ナンセンスだと思っ…

ルーツへの興味

数年前自分のルーツをきちんと知ろうと意識しだしてから、萩の乱で亡くなった玉木正誼について調べたいという思いが強くなっています。「萩の乱」は逆賊扱いですからあまり資料がありません。実兄にあたる乃木希典については沢山の著述があり好悪相半ばです…

起業して5年

2009年6月に起業して5年がたった。 商売ということがどういうものか知ったつもりで綿密に計画をたてて企てたことだったが、実は全く知らずに始めたことだった。数年頑張ったらなんとなるのでは、と思いつく限りのことを実行し、どうにかと思った矢先東日本大…

最近のアップデート

しばらくブログから遠ざかっていた。 2年前に書いたものを読み返してみると、当時よりかなり精神的に落ち着いた気持ちになっていることに気づく。 人はいつ大人になるのか。年齢ではなく、経験を重ねることによって、見えなかったものが見えてきて、視野はど…

松陰神祠

上の写真は現代(2013年撮影)の松下村塾。下の写真は昔の松陰神祠 明治15年に旧藩主毛利元徳並びに門人旧知等が相諮って東京の松陰の墓所の南側に社を建て松陰神社と称した。萩では松陰の実家杉家で明治23年8月、自家の私祠として松下村塾の西側に土蔵造り…

幕末史に興味を持つにいたった経緯(2012年9月13日のノートより抜粋)

今日は幕末史に興味をもつようになったきっかけについて、去年のノートを加筆訂正して引用する。この頃、気持ちの変化が起きて、自分自身が反発していたこと、心の傷についてもっとしっかり見てみようと思うに至ったのがきっかけだ。勿論、聞きかじりや自分…

はじめに

松下村塾は、私の実家である玉木家の玉木文之進正韓が始めた国学の私塾です。 玉木文之進は杉七兵衛常徳の三男で、文政三年(1820年)11歳で玉木家を養子相続します。長兄の杉百合之助の次男で、次兄吉田大助の吉田家を養子相続した吉田矩方(寅次郎)を教育…

2013年5月27日の別ブログから転載 家族史を書こうと思ったこと

当時の心境は以下のように述べられていた。その頃、夫が私の母とともに伯父のところに行き、本人の希望などを聞いてきた。意識は鮮明だったが、内容を聞いたときも、「そんなことが大事だったのか。」と落胆したような気持ちになったのを覚えている。 自分の…