魂の存在について (2006年のブログより)

自分のもっている縁について不思議に思っていることを、当時の心境でまとめてある。

夫の実家のお墓詣りがはじまってから、かえって祖母や伯母のお墓詣りをするようになった。不思議な縁が重なって、伯母のことを良く考えるようになった。

伯母は、非常にきちんとした昔気質の人で子供がいなかったので、親戚の世話や甥姪のことをよくしてくれた。私には良い伯母様だったが、それほど強い接点があったわけではない。伯母が亡くなって、一人になった伯父を見ているうちに、伯母や祖母というお嫁さんたちの偉大さに女性として気づかされる。

 なぜか伯母にまつわることがきっかけで、私は動かされている気がしたのは、沢山のサインがあった。特にお墓にまつわること、今年になってわかった夫の親戚と伯母の姉が同じ家に嫁いでいたこと。それは単なる偶然かもしれないが、同じようなバックグラウンドがあったこと。萩の乱について興味を持ち出す前に、前原一誠の碑をみたこと。沢山ある。

 

魂(霊?)の存在について 2006年 08月 04日

 

 
7月に行ったフランス旅行で買ったお菓子の型や鍋などが家にまとめて着いたので、一緒に行ったJちゃんやYさんと荷物を渡しがてら近所のイタリア料理レストランで食事をする。 最初はベルギービールの店か他の店に行くつもりだったがどこも満員で仕方なくである。 この店はバブルの頃、イタリアにあるバールのような簡単な店のハシリで、その頃は常に予約もとれないくらい混んでいたものだ。 いまでもそれなりの水準を保っているけれど、昨今のイタリアンレストランの水準は当時と比べると全体的にあがってしまって、ワンオブゼムになってしまった。

話しの中で夏場柄、ちょっと神秘的体験の話しになり、それぞれの霊体験を話しあう。 Jちゃんはそういう霊感がもともと強いらしく、金縛りの話しや、霊気の強い場所にくると具合が悪くなる話しなどをしてくれた。 Yさんはご実家がお寺だけあって、やはり死期が近い人がわかるという話や、イギリス留学中何回もそういう体験をしたそう。  私は基本的にそういうことはあまり感じないほうだが、お墓をめぐって因縁めいたものを感じている話をした。

私には20年ほど前癌でなくなった義理の伯母がいる。 本来そんなに濃い人間関係はなかったのだが、亡くなったあと、伯父夫婦に子供がいなかったことと、その他の理由で私は伯父の養子になった。 伯母たちが住んでいたマンションを人に貸していたのだが、そこが空いたとき一時的に1人で住んでいたことがある。夜中にふと人の気配を感じて、ハッと眼を冷ますとスッと何かの気配が天井の方に行ったのだった。 そのときも何か魂の存在を感じた。 また、その後何年かして、当時茅ヶ崎にあった伯父の家に1人で泊まっていたときのこと。ふっと人の気配を感じたことがある。 そのあと、丁度その頃伯父が伯母の入っているお墓を加工したことを聞いて、何か訴えようとしていたのか、と思った。 だからといって、私が具体的な行動を起こしたわけではないが、伯母のことを無意識に思い出したのである。
 
霊の存在について (山口篇) 2

 

写真は、萩の「鈴豊」というお店で昼食にとった「うにいくら御膳」。 別の店に行きたかったが、政府要人に貸切にされ、ちょっと不満気味。 しかしあまり美味しいと思わないので、普段食べないのだが、日本海側のこの地で採れるウニは本当に美味しい。


昨日の話の続きだが、縁あってその後結婚した相手の義父母の出身地が山口県にあることは偶然のことだった。 もともと私の父方は山口県萩市の出身ではあるが、そこには誰も住んでいない。 義父母の方も誰も住んでいないので、何ということもなかったのだが、義父の母親にあたる祖母が95歳で亡くなり、また数年前に義父が亡くなったために、山口県にお墓参りに行くことがこの7-8年の年中行事の一つになってしまったのだ。

私の方のお墓には知っている人は祖母や伯母ぐらいしかないので、結婚したらもう機会もなくなると思っていたら、かえってついでのようではあるが、義父の出身地山陽小野田市へお墓参りに行くたびに、萩にも通うことになってしまった。  今年も急に決めて、丁度小泉首相山口県をまわっていて、同日とは気づかず、5日土曜日の朝一便で着いた宇部空港から乗合いタクシーで萩に行く。 地方に行くとわかることだが、東京近郊と違ってJR支線の本数は一時間1本がいいところ。 バスやタクシーなどの便に頼るしかない。 2人とも、住んだ経験がない地なので、必ず旅の楽しみに食事や観光などもつけてきた。 しかし、最近観光に関しては、もう興味がなく、美味しいお魚やちょっとした食材を買うことに楽しみを見出すようになった。

そんなわけで、私は毎年、祖母や伯母の眠るお墓におまいりすることになってしまい、長い独身時代の回数をはるかに上回る頻度で萩に行くことになってしまった。 こういうことって、伯母か祖母の霊が居るのではないか、という気になってしまう。 残念ながら、祖父は私の生まれる前に亡くなっているので、あまり感傷がない。 霊の存在について、このお墓まいりに来るたびに急にふっと思うのである。

山口県というのは、私の印象ではあまり大きな産業が育たず、150年前の明治維新という歴史的な事実と政治家が力を持っていることに頼っているように思われる。 萩を走っているバスにも(高杉)晋作号と(吉田)松陰号の2つの名前がついているのみ。 それは県全体にひろがっていて、今回初めて泊まった山口市にある湯田温泉の老舗旅館「松田屋」の中でも維新の功労者たちの会見の場や資料室、そして「維新の湯」というお風呂まである。 事実、関係者もたびたび泊まった場所らしいけれど・・。 旅館の庭は美しく整えられ、料理も気張りすぎず、古くさすぎず良い感じであったが、泊まった部屋の名前まで「高杉」だし、床の間には松陰像が飾られている。  うーん、こういうセンスは若い女の子に好かれるものではないですね。
事実、由緒ある旅館ながら、結婚式場に選ばれることはあまりないそう。 サービスも料理も建物も良いのに残念なことだ。