2014-08-01から1ヶ月間の記事一覧

御堀耕助(太田市之進)と玉木彦助

御堀耕助 - Wikipedia 第二次長州征伐の際に奇兵隊とともに戦った諸隊の中に御楯隊がある。太田市之進のちの御堀耕助が隊長。乃木の父希次の兄が御堀の父であり、乃木とは従兄弟の関係。 希次は萩にあった乃木家から長府乃木家に養子に行っている。乃木希典…

玉木文之進

無断転載をお断り致します。 松陰先生の甥にして後嗣・吉田庫三翁「祖先・家庭及び就任以前の事蹟」(大正三年八月四日談話。學習院輔仁會篇『乃木院長記念録』大正三年十月・三光堂刊に所引)に曰く、 先生(明倫館代教・松下村塾主・韓峰玉木文之進正□[韓…

浄瑠璃坂の仇討 (江戸時代の仇討)

近所の住宅地に浄瑠璃坂という比較的なだらかな坂がある。宇都宮藩の重臣の中で起った喧嘩が発展し、事件がおきる。浄瑠璃坂の仇討である。喧嘩両成敗にならなかったことに腹をたて奥平家の家来だった者たちで浪人になった者たちが一党を組み仇討を果たす。…

杉民治

無断転載をお断り致します。 松陰の兄、杉民治についてちょっとGoogleしてみました。 1828年(文政11年)萩市松本(まつもと)に生まれ、幼少期から父杉百合之助、叔父玉木文之進の指導を受ける。 1842年(天保13年)玉木が創設した松下村塾に学ぶ。また藩校…

儒学者の一族

玉木文之進や吉田松陰は山鹿流兵法学者だった。山鹿素行はこの山鹿流兵法の祖であるが、古学派の祖でもあった。古学派とは、漢・宋以降の中国の儒学者の解釈に頼ることなく、孔子や孟子の原典に直接触れその真意を読み取ろうとしたことに特徴があるという。…

反逆についてのキーワードは「なる」と儒教そして懲罰の考え方

無知で恥ずかしいのだが、以前から興味のあった皇国思想と反逆との関係はやはり、学者の研究の対象でもあった。私のレベルで理解できそうなことはないかと検索していたら、丸山真男の古層という言葉にぶつかり、さらに検索していたら、松岡正剛の千夜一夜に…

武士たちの革命

久しぶりに時間ができて、ずっと読みかけのこの本を読み進む。アメリカの大学生向けの教科書だが、私にとってはどの日本在住の人の文を読むよりもわかりやすい。詳細で異論はあるかもしれないが、内向きの情念から突き進んでいくうちに、世界を知り自らが「…

萩の乱(前原一誠の乱)

玉木真人(1854-1876)玉木真人正誼は萩藩士玉木文之進の養嗣子となったが、明治9年11月1日萩の乱で戦死した。明治5年ごろの写真(小野為八撮影) 曾祖父の記録はあまりない。 この不満士族の乱という言葉で語られる内乱も、子供の時から、ナンセンスだと思っ…