所属宗教の変遷

江戸時代は檀家制でどこかのお寺に所属するのが必須だったようだが、明治になって廃仏毀釈になって、山口県のような地域は神道一本になった家が多いのではないか。
私は東京で育ったのと、戦後の教育を受けた両親と、リベラルが良いと思ってミッションスクールで育った明治生まれの祖母の影響からか、あまり神仏とのご縁を感じなかった。特に幼児洗礼で物心ついたときからカトリック教育しか受けていなかったのでグレゴリウス聖歌の方がなじみが深い。一方母方の祖父母は典型的な当時の日本人家庭で、葬式仏教とでもいうか浄土真宗。母方の祖父はお寺に戒名料を払うなど無駄と、戒名も三文字。
 
父の実家が神道だったのは数世代前からのことで、もっと昔の位牌を見ると曾祖父から前は、長ーい戒名がついていた。曾祖母の家は熱心な浄土真宗の信徒が殆どだったらしい。しかし、明治までは曾祖母が曾祖父と共に継いだ家は明治までは日蓮宗だったことがわかる。これも明治の廃仏毀釈と大いに関係があるのではないか。江戸時代に残っていた谷中養伝寺と四ツ谷戒行寺から萩にお墓をまとめている。
 
うちは代々、どこの宗教というのは今でなくても案外便宜的な部分があるから、檀家制が崩れていくのは自分の意思というよりも、社会の仕組みが変化したときに変わってしまっている。
 
もっと昔まで遡れる人は、その変遷を知ることができるから、代々なんて思い込みや錯覚に囚われていることに気づくだろう。
 
受け継ぐものと、受け継がないものがあって、それぞれの家族のカラーができあがっていく。