一年祭

月曜日に玉木家最後になった伯父の一年祭を行いました。賑やかなことが好きだった人でした。祖父が一人っ子だったせいもあり、私の親たち兄弟は、祖父の従兄たちとも親しく付き合っていたのでした。特に萩の乱の後、曾祖母の豊子と妹の杉滝の家族はどんな思いで過ごしていたのでしょうか。滝の息子道助や、児玉千代も息子の吉田庫三とともに東京にいましたから、千代のひ孫や滝の孫たちも集まりました。系図を持って人間関係を確認している人もいました。伯父の母方の従兄や、甥姪なども集まりました。殆ど70歳以上の人ばかり。伯父が熱心にそういう縁を大事にしていたおかげで、葬儀をきっかけに、私もその方たちと親しくなることができたのは、うれしいサプライズでした。


初代からの歴史を調べているうちに、この幕末から150年の間、特に安政の大獄から明治10年にかけて、数々の試練を乗り越えてきた(男女や能力に関わらず)生き残りの子孫だったんだと思って、そこに集まって入り人たちに、そういうことをスピーチしました。万感胸に詰まる思いでした。ずっと、この会が終わると、晴れ晴れした気持ちになると思っていたのですが、自分としては最後の玉木という思いも強く、むしろこの二日間虚脱感です。
 今朝、近所の本屋で文の生涯を書いた本をみつけ「萩の乱」のところを立ち読みしました。2~3の間違いがあるものの、かなり詳しく当時の家族の状況を書いてあり、また胸が塞がれる思いでした。 
 日本に住んでいた人たちが、初めて外国の脅威を感じた時代、ナショナリズムが台頭したといいます。杉家と玉木家の人々は人一倍人情家でもあったようで、そういう波の中に巻き込まれていきます。伯父にとってはプライドの支えになっていたルーツですが、利や理が立つ生き方ではありませんでした。
今、大河ドラマで盛り上がっていますが、それを遠巻きに興味を持ってみている自分の立ち位置が不思議に思える一日です。人が大人になるのは、いくつなのかといわれると、自分の前にそびえていた人がいなくなったときかもしれません。