西南の役で失った軍旗について

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「偉人のかげに」長谷川君江氏の私家本の最後に西南戦争乃木希典が統率していた歩兵第14聯隊の軍機についてのくだりがある。

 

「2月22日植木駅に於いて旗手河原林少尉は敵兵の中に切り込んで戦死し、持っていた軍旗は敵将村田三助というものに獲られた。三助はこれを花岡山上にたててこれみよがしに城兵に威示したというが、この三助も戦死した後、鹿児島に送られその妻が秘匿していたが事件平定後、熊本鎮台を経て陸軍省に納付されたという。そして歩兵第14聯隊には戦功として更に新軍旗を賜ったとのことである」

 

この後、実は村田三助ではなく、軍隊旗を奪ったのは薩摩郡伊東隊配下の下級指揮官岩切正九郎で、河原林少尉を斬り、軍隊旗を奪い、五番隊の村田三介に渡したという。数十年来の友人が、このことを教えてくれた。なんとこの岩切という人は親戚だと教えてくれた。岩切正九郎は、その後も長く生きられ友人のお父様は実際本人にあったことがあるそうだ。人の縁は不思議だ。