はじめに

松下村塾は、私の実家である玉木家の玉木文之進正韓が始めた国学の私塾です。

玉木文之進は杉七兵衛常徳の三男で、文政三年(1820年)11歳で玉木家を養子相続します。長兄の杉百合之助の次男で、次兄吉田大助の吉田家を養子相続した吉田矩方(寅次郎)を教育したことでも有名です。安政の大獄で斬首になった吉田松陰の師であり叔父になります。
吉田松陰は杉百合之助の七人兄妹の次男。長男の梅太郎(後に民治)、下に千代(芳子、後に児玉千代)、寿(楫取素彦妻)、艶(早世)、文(久坂玄瑞妻後に楫取素彦後妻、改名して美和子)、三男敏三郎がいます。

2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」では松陰の妹文がヒロインになりました。丁度一年前の2012年の9月頃から現代に生きる一女性の視点として幕末から現代までの150年を振り返るのに、杉家を中心に歴史をたどろうと関連した評伝などを読みだしていただけにとても不思議な気持ちになりました。

玉木家は伯父の代で子供が無く、晩年になって私が玉木家の籍に入りました。玉木家の次男である父は違う親族の姓を継いでいたからです。しかし、結婚したことがきっかけで価値観の違う親族との確執から玉木をはじめ、実家に関わる一切のことから15年間離れていました。

伯父が高齢になり、葬式等一切の処理を私に頼ってきたのが昨年の年末でした。そして、2013年8月伯父が97歳で逝去し、萩の松陰誕生地にある玉木家の墓に入るまでの一年間、憑かれたように5回萩を訪れることになります。

偶然とはいえ、私にとっても一つの時代が終わったような気持ちでいっぱいです。そして秘かに何年かかけて玉木や杉家にことについて調べて自分なりの考察をまとめたいと思っていた矢先の大河の発表があったことで、その計画を少し早めることにしました。