ルーツへの興味

数年前自分のルーツをきちんと知ろうと意識しだしてから、萩の乱で亡くなった玉木正誼について調べたいという思いが強くなっています。「萩の乱」は逆賊扱いですからあまり資料がありません。実兄にあたる乃木希典については沢山の著述があり好悪相半ばです(祖父は遺腹の子で一人っ子で、小学校を卒業してから伯父の希典の家に行き軍人になりました)。昨年玉木家長男である伯父(私は実子がいない伯父の戸籍上養女です)が亡くなり、除籍戸籍が必要で萩と世田谷から取り寄せたところ、曾祖母にあたる豊(トヨ)が杉民治長女とかいてあり、一気に松陰に親近感をもつようになりました。もともと曾祖母が杉家の出身ということは知っていたのかもしれませんが、戸籍の中に名前をみつけると感じ方も違います。曾祖父母とも江戸時代生まれというのも、考えれば当たり前なのに驚きました。

来年の大河が偶然にも民治にとっても妹の文を駒にして幕末を描くとのこと、この際家族の歴史をできるだけ客観的に知りたいと思っています。普通祖父母の代までしか知らない人がほとんどで、その前の人のことは漠然としか意識しませんが、大河のおかげで、眠っていた資料を読み解く人が増え少しずつ知ることができおっかなびっくり面白くなってきました。江戸時代の懲罰法や家族関係の在り方も今とは全く違うのも興味深い。
歴史上有名になった人の周囲にいた人に焦点を当てている点も迷惑だったり冷や冷やするところもありますが、考え方は違っても感情面で理解できるところがあるかもしれないと思っています。祖父が自分で書いた経歴書を読むと、小学校までは萩で彼の祖父にあたる民治から論語を習い、中学にあたる部分ではイギリス人から英語を習ったと書いています。残された写真も思いっきり洋風な生活なのに、晩年はまた萩で羽織はかまで過ごしています。激動の時代を生きた人だったのでしょう。周囲の環境からしてもかなり個性的な人だったと伝え聞いていますが、祖母から聞いていた祖父の話はどこか飄々としていました。
今日は自分の仕事のイベントにFBで知り合った松陰研究の先生や、著述をされている方も参加してくださり、自分に付随している余計なものと思っていたことが一体化したような気がしました。

若いときは家族の歴史を知るのは、あまりにも血なまぐさく、またその時の感覚とはかけ離れすぎていて避けてきたことなのに、もう残り時間があまりないと考えるようになってから、それを正面から見据えてみたくなったのも皮肉です。祖父自身、父親も兄弟もいなかったので、自分のルーツに興味をもったのも当然といえば当然かなと今になってみると思います。家系図を非常にきちんと整理していて、それは伯父もそうでした。大正生まれの伯父やその下の伯母たちとも価値観が全く異なり、意思の疎通がうまくいかなくて、率直な意見の交換ができなかったのが残念ですが、彼らの残した手がかりをもとに辿ってみたくなったことが沢山あります。